ひとひら


悩まないで

 

急に反抗的になったり、昨日まで言うことを聴いていた子が、突然、わがままを言うようになったということを、よく聞きます。
「こんな自分でも、 受け入れてほしい」
「どんな状態であっても、 受け止めてほしい」
それは、けっして、わがままではなく、さまざまに傷ついてきた子どもたちが、全身全霊をかけて、伝えようとしているメッセージなのです。
それ以外には表現できない、魂の悲鳴なのかも知れません。
でも、おとな達は、動揺します。
子どもたちを、ちからで抑えつけようとします。
あるいは、失望して、離れていくひともいます。
すると、子どももまた、そこで、傷つくのです。
自分の気持ちを素直に表現することは、結局、受け入れられないことなのかと。
おとなの枠組みのなかでしか、受け入れてはもらえないのかと。
自分を受け入れてくれるものなど、どこにもいないと。
かたくかたく、こころを閉ざして、あきらめてしまうのです。
それは、子どもにとっても、おとなにとっても、とても不幸なことです。
子どもたちは、子どもたちなりの方法で、おとなにうったえかけているだけなのです。
この、絶望的ともいえる状況のなかにあって、有効な方法など、簡単には見いだせません。
私自身、途方にくれてしまい、ついつい子供に苛立ちを見せたことも度々です。
どうしてだろう?
何故なんだろう?
私は間違っているのだろうか?・・・・
そんな疑問を自問自答しながら子供を迎えに車を走らせていた時でした。
突然 空からも、山からも、木々からも、草花からも、まるでこの世界全部が一斉に手をさしのべてきたように感じられた。
みんな、苦しまないで、悲しまないで、恐れないで・・・
一人で悩まないで・・・・いつも傍にいるから。
どんな時も傍にいるから私に気づいて・・・・
この世界は、すばらしい世界なのだから・・・
今いるこの世界が、すばらしいのだから・・・
子供の命とあなたの命とこの世界の命とは繋がっているんだから・・・・
みんな、気付いて、・・・大丈夫だから・・・
まるで、車の中も外も全てが何かに抱かれているような感覚でした。
なぜ、そのように、感じるのか解らないけれど・・・
みんな幸せになってねと、いつも見守ってくれている様にかんじたのです
私は知らず識らずに「南無妙法蓮華経」と唱えていました。
だから、もし心が不安定になったら、子供が困ったときに「お母さ〜ん」って呼ぶように南無妙法蓮華経と唱えてみてください。
例え声にならなくっても良いんです。
ただ手を合わせ心に念じるだけでも良いんです。
尊い命を育もうと奮闘している私たちには必ずお題目がついて下さっていますから・・


 
 
 
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