親の欲とは恐ろしいものです。
我が子が「おぎゃ〜」と生まれてきたとき、あなたは「成績優秀な子に!」って思いましたか? いえ、思いませんでした。
無事に生まれてよかった・・・。
ただそれだけを思ったはずです。
退院して家に帰りました。
しばらくすると「ニコ」っと笑うようになりました。
それを見て「もっと上品に笑って欲しい」って思いましたか?
いいえ、思いませんでした。
ありのままの我が子をいとおしみ、期待も要望もなかったと思います。
ところが、大きくなった今はどうでしょう。
オムツが取れるのが遅いと、「早くちゃんと教えなきゃあ!」と思い、よその子がひらがなを読めるようになると、せっせと覚えさせようとし、いつしか、習い事をさせないとヤバイ!と考えるようになります。
これ、「子どもを愛してる」と言えるでしょうか。
子どもが「ほかのお母さんはスマートだよ、どうして痩せられないの?」
と言ってきたら、あなたは一体どう思うでしょうか?
さらに「ほかのお母さんはどこでも迎えに来てくれるよ」と言ったら?
よそ様はよそ様、うちはうち。
そう言いたくなるのではないでしょうか?
子どもたちは、親に多くを求めません。
望むとしたら、「元気でそばにいてほしい」ぐらいなもんです。
ところが、親は子どもに多くの期待と要望を持ってしまいます。
その多くは「社会にくっつけてあげようとすること」です。
そのこと自体、決して間違ってはいません。
でもそれは、「まずすべてを受け入れて愛す」があってこそです。
私の言っている意味が分からない方は、「生まれたばかりの我が子」を思い出してみてください。
親の欲目もなかった、生まれたばかりの我が子を抱いているあなた。
そんな写真があったら、よく御覧なさい。
おそらく、とても美しいはずです。
親と子にあるべき愛情が、そのままにじみ出ているからです。
子どもはたくさんの間違いを犯します。
いたずらだって次から次へとします。
よく泣きます。
こちらの言うこともきいてくれません。
しかし、それが子どもなのです。
間違いをたくさんすればするほど、正解も知ります。
いたずらは賢いからこそできるのです。
泣くことができるのは、あなたの愛情に安心しているからです。
言うことをきかないのは、自分の考えが今そこにあるからです。
そう思うと、「やっぱりうちの子はサイコ〜〜!」って感じます。
生まれた瞬間、泣かなかったら死ぬほど心配したでしょ?
それを思い出せば、今ギャーギャー泣いてる我が子が誇らしいです。
世の中には、泣きたくても泣けない子がたくさんいます。
泣くことを禁じられ、泣いてしまったら恐ろしい罰があるのです。
あなたが泣くとき、泣いても大丈夫な相手の前、もしくは一人の時に泣くことでしょう。
それは「許される」ということを知っているからです。
声を張り上げて泣く我が子を見て「うるさい!」と思うでしょうが、逆に言えば、あなたの愛情がそこにあるからこそ泣けるのです。
育児に迷ったとき、子どもに多くを求めてしまいそうなとき、どうか、その子が生まれた瞬間を思い出してください。

仮死状態で生まれてきた子を持つお母さんは言いました。
「息をしてるのを確認するだけで幸せでした」、と。
親の欲とは恐ろしいものです。
だからこそ、時々でいいので「欲などなかった自分」を振り返ることが必要だと思うのです。
いろいろと求めるのは、そういった大事な気持ちの次の階段を、登ったところにあるべきだと考えています。
大事な心を忘れない親の子は、同じように大事な心を持って育ちます。
そしてその心とは、本当は誰でも持っているものなのです。
そう、 あなたも。


ひとひら

育児に悩んだら


























































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