因縁の障りってな〜に?

俗に因縁と言われるものは、全ての物事の成り立ちの基をいい、成り立ちの基と言う事は、一つの事柄が現われてくる元、つまり原因ということになります。

原因に対しては結果が出てきます。これを果といいます。この因果関係の事を因縁といっている事が多いのですが、正しくは因と縁と果とは相関関係にありますが別々のものです。

ただ、全ては縁によって生じ動く訳ですから、因と果もまた縁に含まれると考えて良いでしょう。 

この「縁」の善悪によって生じたものを「因縁」と一般的にはいっておりますが、ご存知の通り世の中の出来事(喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ等)は、何かしらの因果関係によって起っております。 

喜びや楽しみは、「よかった」「うれしかった」と言って、そのまま通り過してしまいますが、悲しい事や苦しい事が続けて深刻に起ってくると、それ迄は無信仰・無信心を誇りにしていた人も慌て出し、「何の因縁だろう」「何のタタリだろう」と騒ぎ出し、あちらこちらと迷いながら、その事から逃れたい一心で、今迄信じたこともない神仏にすがり、因縁ホドキとか淨霊法とか、祈祷所あるいは宗教関係に駆け込むことが多い。 

しかし、その原因がまちまちですから効果の有るものとないものが出てきます。

さらには、駆け込んだ先がかえって悪因・悪縁となり悪果を呼びこむ事になる場合もあります。 

私たちの相、性、体を平面的に考えた場合、家系的因も有しますので自己の責任ではない様ですが、力、作、因、縁、果というものは自力で変える事ができますので、立体的、多面的にみれば相、性、体も自己の責任という事になり変化させる事もできます。

「活々としている」「大きくみえる」等が良い例です。

ですから、「全ては自己に責任がある」と云っても良い訳ですが、取り敢えず俗に「因縁」と言われているものを大別するとすれば、先祖が基を造り、それが原因となって代々その家に纏わって起ってくる問題、つまり「家系因縁」と、自分が基の種をまいて、それが芽を出している「自己因縁」の二種類になるといえるでしよう。 

祈祷の上では、過去世に犯した罪障や周囲の罪障を背負っている事によって心身に宿って居るところの障碍(しょうげ)を指して「因縁の障り」と称し、この障りを根絶する祈祷修法を重視いたします 

御題目(南無妙法蓮華経)による祈祷は、もとより即身成仏を最終目的としております。

また御題目を信仰することによって、現世安穏・後生善処を実現する事を目指しております。

然しながら、人間は一般的に言って、正法(正しき仏の教え)に背き日日に罪業を重ねている為に心身の病から免がれる事がありません。

また、善を積んでいる人でも、他人の罪業を背負う事によって心身が病に犯される場合が少なくありません。

心身の病は単に肉体的障害ではなく、正しい法を誹謗した罪を根本として起こるものでありますから、正法を信じる事によって心身を浄化し罪障を消滅するよう努め、自分の心を蘇生させなければ、この重病を消除する事ができません。

また、人間は過去・現在・未来の三世にわたる「因縁」を背負って生きております。そのため個人の行いの範囲を越えて、過去世から背負い、十方から押し寄せる「因縁の障り」が心身に刻み込まれている為に、心身に毒気が充満し病悩に冒されるのであります。

この事から、人力の及ばない病悩・罪業や悪鬼・魔神の障りを消滅させる祈祷が求められてきます。

もとより病は仏の計らいであり、信心の強弱を鬼神が試すものであります。

この点から言えば、御題目への不退の信を持っていく事が衆魔を退散させ即身成仏に至る近道・直道なのであります。

この真の御題目信仰の道に入る方便(手立て)、あるいは重要な契機を与え、罪障消滅と障りを絶つものとして祈祷は存在するといえます。 

ところで、全ての人間が体験するであろう心身の病を祈祷の上では十種類に分け

「十種の病悩」と呼んでおります・

 

一、肉  病

    四大(私たちの身体の構成要素、地・水・火・風)不調と呼ばれる肉体的病い。打撲・中毒から食欲不振に至る全ての肉体的変調を指しています。これは、その人の身体にそなわる四大の増減が平常さを失ったことから起こる、とされています。この病は、医薬治療によって治す事が可能です。ただし、悪鬼・魔障・物霊によって起こる事もあり、この場合は医薬の効果は無く信仰の一念を持たねばならない

二、心  病

いわゆる神経症の病気の事です。精神的治療方法によらねばなりません。病根を取り除いたのちは医薬で精神の疲労を治す事はできます。

三、呪  病

他人から呪詛された為に生じた病い。

、鬼 病

    悪鬼・鬼畜の障りによって種々不徳を犯した為に起こった病い。害を加えた者を恨み悩ましたり、遊び過ぎや飽食あるいは貪りによって心身が衰えたもの

、魔 病

    魔王・魔民が人身を悩まし、善事を捨てさせ悪事を行わせ精力を吸い取った事から生じた病い。

神  病

下劣の天や神を祭祀し求め、優れた仏などを捨て去った為に起こった病

霊 病

生霊・死霊の障りによって生じた病い。

業 病

    不治の病いと言われるもの。過去の世に生物を好んで殺傷したり、病人を虐待した事によると言われています。

試  病

その人の信仰心を試みるために、護法の善神や鬼神が病気にさせたもの。

慈 病

    信仰深く仏道を成就せんとした時、邪気や魔神がそれを妨げようとして人の身に侵乱して来るのを防ぐため、仏天が大慈悲の力をもって一時的にその人を病ましめ、心身を浄化させて今後一切の魔障を断ち切り病悩に罹らぬようにしたもの。

これら 「十種の病悩」のうち、「一」「二」は加持・祈祷を用いるほどの病気ではありません。ただし、正法を信じ、護持・供養する心を持つことが治病の根本的心掛けであります。 

また 、「八」「九」「十」は加持・祈祷によって治すべき病気ではありません。

いずれも、仏・菩薩・諸天善神等のお計らいによるものですから、御題目信仰を強盛に持ち貫き懺悔の念を深め供養を怠らないようにする事によって病魔の退散、乃至は消滅することができます。

因縁の障りには、自業自得の悪業のほかに、前世(過去世)・先祖・親戚者の犯した罪業や、土地・墓など場所にともなう障りがあります。

特に、生霊・死霊・野狐(鬼畜および動物・野獣)・疫神・呪詛の五つからなる人間および生物の霊によって生じた心身の病悩と障り(五壇の障り)、方角にともなう災難(方罪)、正法を誹謗した罪(謗罪)、仏法を謗り背いた罪(法罪)による障りは、「因縁の障り」のなかの中心であり、障りの内容も大変深いのであります。 

また、この内でも諸天善神の代表的存在ともいえる稲荷と龍王神を供養せず、そのために眷属が得脱しないことを原因として起こる障りは、もっとも顕われやすい。

従って、仏・菩薩とりわけ諸天善神・守護神に供養をし「いのり」を捧げることにより、因縁の障りを断ち切り罪障消滅を果たし守護の加力を与えられるようお題目による祈祷修法が大事になる訳です。

御題目(南無妙法蓮華経)は最勝の秘密神咒ですので、至心の唱題行(ただ御題目だけを何回も唱える事)こそが、祈り・祈祷となり、自己の「因縁の障り」罪障消滅につながる直道・行法なのであります。

この行法は、ただ「信」さえ有れば、何時でも、何処でも、誰がしても、いのりは必ず成就いたしますよ。

 

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